PJ通信:インド時事評論

インドを中心とした、政治・経済・社会・文化に関する評論。

2019年インド・パーキスターン紛争 1

2019年2月26日、インド空軍はカシミールのパーキスターン実効支配地域をこえ、パーキスターン領ハイバル・パフトゥーンフワー州のバーラーコートを爆撃した。インド空軍が、係争地であるカシミールではなく、パーキスターン領空で作戦行動をおこなうのは1971年の印パ戦争以来のことだ。攻撃目標は、カシミールで活動する武装組織の訓練キャンプとされた。インド政府は、この作戦行動を武装組織による今後の攻撃に対する先制攻撃であるとした。派遣された12機のミラージュ2000は、複数の武装組織の拠点を攻撃し、300人を超える組織構成員を殺害したのち無事に帰還したとされている。身内に被害を出すことなく、「テロリスト」に対する華々しい戦果を出すことに成功したというわけだ。インド連邦下院選挙が今年の4月から5月に予定されていることを踏まえると、こうした「戦果」がつづくならばそれを肯定的にとらえる有権者が出てくることを、政権を握るインド人民党が期待している可能性がある。

 


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この攻撃の背景には、同月14日にインドが実効支配するジャンムー&カシミール州のプルワーマーにおいて、インド中央予備警察隊(Centaral Reserve Police Force)が武装勢力によって攻撃されたという事件があった。この事件では、爆弾を積んだ車を使った自爆攻撃によって40名以上の中央予備警察隊員が殺害されている。自爆攻撃を行なったアーディル・アフマド・ダールは、ジャンムー&カシミール州の住民で、武装組織ジャイシュ・エ・ムハンマドに属していた。ジャイシュ・エ・ムハンマドは攻撃したことを認める声明を出した一方で、パーキスターン政府は攻撃を非難し関与を否定している。インドによる空爆は、ジャイシュ・エ・ムハンマドをはじめとする武装組織を攻撃することを名目としていたのである。

 

空爆を受けたバーラーコートは、パーキスターンの首都イスラーマーバードから約100kmに位置する国境地帯にある。パーキスターン政府は、インド側が主張するような武装組織のキャンプはバーラーコート周辺に存在しないとしており、海外の主要メディアも同様の見解を示している。パーキスターン政府によると、爆弾は何もない場所に落とされており、物理的にも人的にも被害は出ていないという。パーキスターン側としては、インド政府の主張をそのまま認められない事情もある。「テロリスト」の訓練キャンプが自国内に存在すると認めるわけにはいかない一方で、領土内でインド空軍の爆撃を許したばかりでなく被害も出たというのでは政権の面目にかかわる。インドの「先制攻撃」をうけて、パーキスターンの主要メディアは、インド空軍による真夜中の卑劣な攻撃に対して報復すべきだと口をそろえている。パーキスターン軍部もまた、領空内でのインド軍による作戦行動への対抗措置を講じることを余儀なくされている。

 

報復するには早朝で「暗すぎた」というパーキスターン防衛相パルヴェーズ・カタックの発言が失笑を買うという一幕があったものの、翌27日にはパーキスターン空軍はカシミールのインド統治領域(ジャンムー&カシミール州)に向けて戦闘機を飛ばしている。パーキスターンのイムラーン・ハーン首相は、戦闘機の飛行はインド側へ「メッセージを送る」ためのものだとし、戦争回避のための対話を呼びかける姿勢を見せた。その一方で、パーキスターン空軍は、領空に侵入したインド空軍機を撃ち落とし、ミグ21のパイロットひとりを拘束している。インド側では、外務省の報道官ラヴィーシュ・クマールが、パーキスターンのF-16戦闘機を一機撃墜したと発表したが、パーキスターン側はそれを否定している。28日には、パーキスターン政府は「平和的な身振り」として、拘束したパイロットを帰還させることを決めている。

 

インドとパーキスターンのいずれの主張が事実に近いのか、それら相異なる主張がどのような文脈(国際関係のみならず国内の権力関係など)においてなされたのか、そして両国の関係がどのように推移するかは、今後考察を深めるべきことがらである。そのうえで、今後注目すべきいくつかのポイントをあげておこう。まず、「テロリスト」への先制攻撃としてインド側が開始した攻撃は、時期的に見て今年の下院総選挙を見越した動きと解釈する向きがある。このことを念頭に置いたとき、この作戦行動が連邦政権党であるインド人民党にとって有利にはたらくのか否か注目すべきだろう。他方でパーキスターン側では、紛争を回避したいという言葉を重ねるイムラーン・ハーン首相と、実際にはインド側の実効支配空域に戦闘機を派遣したりインド空軍機を撃墜したりといった行動選択をしている軍部の間で、どれほどの意思疎通がとれているのか(あるいは緊張関係があるのか)が重要となるだろう。さらに、両国のメディアが非常に扇情的なメッセージを発信しつづけており、特に一部の現地語メディアにおいては冷静な言論が見えにくいという事情がある。この多言語状況におけるメディアの効果についても注視していきたい。